アンナ・ビエルキエヴィチ氏は、シベリアにいたポーランドの子どもたちに関する歴史上で、最も重要な人物の1人です。
彼女の父親は、設計者としてシベリア鉄道の建設に携わっていました。
1919年、シベリアで多くのポーランドの子どもたちの状況が悪化したとき、アンナ・ビエルキエヴィチ氏は極東の子どもたちのためのポーランド救済委員会の設立に着手しました。
彼女は教師として働いていたため、ポーランド人の子どもたちの貧困を身をもって実感していました。
委員会が結成されてまもなく、彼女は日本の防衛省に支援を依頼するために、東京を訪れました。
そして最終的に、ウラジオストクに駐在する日本赤十字に行き着きました。
ビエルキエヴィチ氏が委員会を組織するのを手伝ったのは、一月蜂起軍の子孫でウラジオストクで医師として働くヨゼフ・ヤクブキエヴィチ氏でした。
「私たちは、避難所、鉄道車両、兵舎、警備隊やポーランドの避難所から子どもたちを集め、また無秩序の混乱により家庭が崩壊し、自分たちでは助けられる方法がないが子どもを救いたいと思っている家庭の子どもたちの世話をしました。」と同氏はのちに回想しています。