新潟県出身の看護師。職業意識から病気を恐れずにポーランドの子どもたちを看病した。孤児たちが7月8日にポーランドに出発したのち、彼らの出発を見届けるとまもなく20歳で亡くなった。腸チフスへの感染が原因だった。
日本赤十字看護大学には、当時感染症と戦っていた看護師の松澤フミの記録が残っている。さらに、彼女の写真はポーランドに残っており、一部のポーランド人の心の中にはしっかりと彼女の記憶が刻まれているという。
シベリアでは当時、腸チフスが流行していた。そのため、日本にやってきたポーランド人の子どもたちの中にも感染した子どもがおり、腸チフスがまん延していた。子どもたちの面倒を看ていた日本人看護師の松澤フミさんは、片時も疾患した子どもの側を離れなかったと言い伝えられている。この献身の甲斐あってか、重体だった女の子が一命をとりとめるという奇跡的な出来事もあったと記録に残っている。
松澤フミさんの功績はのちに讃えられ、ポーランドから1921年に赤十字賞、1929年に名誉賞を授与されている。