東京:第1回目の救済船で渡った子どもたちが療養した場所
ウラジオストクから日本に救出されたシベリア孤児の道のりを辿るシリーズ。
第2弾では、ポーランドの子どもたちが敦賀港から移動し約1年の間療養した東京の、
ゆかりのある地を紹介します。
(第1弾:福井県敦賀市)
東京には計5回にわたり合計375名の子どもたちが訪れました。
日本赤十字社 本社
1886年に前身となる博愛社病院が設立されました。
1887年には日本赤十字社と改称し、赤十字国際委員会から承認されました。
ポーランド孤児救済委員会の会長、アンナ・ビエルキエヴィチ氏は
1920年に日本の外務省を訪れ、ポーランド孤児の救済を嘆願したといいます。
その際外務省から要請を受けたのが日本赤十字社でした。
福田会育児院と隣接していたこともあり、
多くの看護師がポーランドの子どもたちを看病するために育児院に出向きました。
社会福祉法人 福田会
社会福祉法人福田会は、1876年に創立された福祉団体です。
現在は東京都にて、児童養護施設や福祉型障がい児入所施設、高齢者グループホーム等を運営しています。
1920年、当時の福田会育児院はポーランドの子どもたちに無償で宿舎を提供しました。
ここで、子どもたちは次第に健康を回復したといいます。
2009年に当時の 駐日ポーランド共和国大使が福田会の前を通りかかり、シベリア孤児について話してくださったことをきっかけに、
ポーランドと福田会との交流が再開しました。
皇居
皇居は、明治天皇以降から今の天皇陛下までの歴代の天皇のおすまいです。
江戸時代には徳川幕府の居城(江戸城)があった場所でもあります。皇居内には、諸行事を行う宮殿・宮内庁関係の庁舎・紅葉山御養蚕所などの建物があり、
その一角に桃華楽堂などのある皇居東御苑があります。
ポーランドの子どもたちが東京に来てしばらくして、
貞明皇后(大正天皇の皇后)が、日赤病院に行啓されました。
皇后は孤児たちの境遇に心を痛め、御下賜金を届けられたといいます。