2024年5月29日から6月4日にかけて、シベリア孤児の足跡をたどるツアーが実施されました。(企画:社会福祉法人福田会ポーランド支部)シベリア孤児子孫の16家族38名と関係者を合わせて、49名がツアーに参加いたしました。
明治神宮や皇居など、主要な観光名所をめぐりました。
東京を経由してポーランドに帰国した子どもたちがすごした施設である福田会を訪問し、敷地内で家族ごとに写真撮影を行いました。
また、現在の福田会に住んでいる子どもたちに、ぬいぐるみやお菓子などのプレゼントを贈呈しました。
社会福祉法人福田会主催のツアー参加者を歓迎する夕食会に参加しました。
福田会関係者・在日ポーランド大使をはじめとするその他関係者との歓談を楽しんだほか、レクリエーションとしてのビンゴ大会が開催されました。シベリア孤児子孫からは感謝状・記念品が贈呈され、この日のために練習した君が代をサプライズで披露いたしました。
福田会育児院史研究会の宇都榮子教授、小笠原強様、村上葵様にガイドいただき、東京都内でシベリア孤児子孫が訪れた施設を訪問しました。特別なゲストとして、100余年前に都内でシベリア孤児たちのお世話に従事していた竹田勝世氏のお孫さんである、竹田宏司様にもご一緒いただきました。
1920年8月1日から毎日曜日、子どもたちと付添人は、宿舎近くの麻布天主公教会(現麻布カトリック教会)でツルペン神父による午前8時からの日曜礼拝を受けるようになりました。公教青年会会員が付き添いました。
ツアー参加者の訪問に合わせて、麻布カトリック教会の皆様には特別ミサを執り行っていただきました。
1920年8月24日、ポーランド児童50名余は、芝増上寺の招待で、堀尾貫務大僧正(93歳)から祝福をうけました。大僧正は、子どもたちの頭を撫でたり、握手しました。御霊屋を拝観し、記念撮影しました。一同満足、午後1時「アリガトウ」を連発して毛利邸に向ったことが増上寺の『日鑑』に記されています。
今回、増上寺を訪れたツアー参加者らは、小林執務長に歓迎のお言葉をいただいたのち、赤羽課長のガイドで本堂外観、徳川将軍家墓所といったシベリア孤児たちも実際に見学したと思われる場所をご案内いただきました。
1920年11月27日、慶應義塾大学ワグネル・ソサエティーの部員により、同大学三田校舎講堂にて「波蘭児童救済音楽舞踏大会」が開催されました。舞踏会にはポーランド児童43名をはじめとして、多くの人々が参加しました。8名のポーランド児童が民族衣装を身にまとい、舞踏を披露しました。この舞踏会ではポーランド出身の音楽家ステベルスキー氏などによるオペラの披露もありました。
今回の訪問では、三田校舎講堂がもともと立っていた場所や大学博物館を見学しました。
子どもたちは、日曜礼拝の後などに公教青年会の人々に引率されて上野動物園や帝室博物館を訪れ楽しいひと時を過ごしました。動物園を訪問した子どもたちは大喜びしたとのことです。
限られた時間でしたが、公園内を自由に散策しました。
ツアー参加者全員が出席しました。
式典の詳細は、こちらからご覧いただけます。
シベリア孤児の歴史について記念するほか、2024年1月1日に発生した能登半島地震へのチャリティー活動も行われました。
北陸新幹線で敦賀まで移動しました。
日本に上陸した子どもたちも訪れたであろう場所を見学しました。
お天気にも恵まれたため、足を海水につけて楽しむツアー参加者もいました。
ガイドの方にご協力いただき、館内の展示や建物外にある子どもたちの上陸地点をご案内いただきました。
シベリア孤児も歌った「うさぎとかめ」や、ポーランド民謡の「森へ行きましょう」などをツアー参加者と合唱団の子どもたちが一緒に歌いました。
合唱団の皆様の素敵な歌声に、涙を流すツアー参加者の姿も見られました。
敦賀市・福井テレビジョン放送株式会社の主催で、記念レセプションを開催いただきました。敦賀市内の関係者の皆様とツアー参加者が交流したほか、昆布かき職人によるおぼろ昆布削りワークショップといったレクリエーションも催されました。
金閣寺や清水寺といった有名観光地を巡りました。
大阪にたどり着いたシベリア孤児は、日本赤十字社大阪支部のお世話になりました。
そのご縁から、大阪支部スタッフの方や日本ポーランド協会関西センターの藤井和夫先生に、大阪でのシベリア孤児救済事業に関するご講演をいただきました。
さらに大阪支部で保管されている、シベリア孤児受け入れ名簿のコピー等の貴重な資料を閲覧させていただきました。
子どもたちが訪れた際の建物が現存する中央公会堂。
建物内のレストランで、永岡先生や日本ポーランド協会関西センターメンバーの方々の一緒にランチをいただきました。
1922年8月15日の聖母例祭は、玉造天主教会と川口天主教会で行われましたが、以降の日曜礼拝は玉造天主教会で行われました。
8月20日の日曜礼拝は、15日に貞明皇后から御下賜金が下賜されていたため、皇后の健康を祝福する祈祷をしました。この祈祷は、下賜を喜んだ子どもたちと付添人が感謝の意を表したいと希望した結果、行われたものでした。子どもたちは、赤十字の旗や草花を持って玉造天主教会に向かいました。
今回のツアーでは、カトリック大阪高松大司教区事務所の方にガイドいただきながら教会内を見学し、教会の歴史について学びました。
藤井和夫先生にガイドいただき、子どもたちが出航したとされる地点や阪神淡路大震災の記念モニュメントを見学しました。
1922年に子どもたちが神戸港を出発するときには、日本とポーランドの国歌を合唱し、赤十字の旗を振り、最後に「ありがとう」「さようなら」「日本万歳」と日本語で別れを告げました。日本赤十字社の阪本副社長や大阪支部、大阪支部病院、公教青年会員など多くの人々が見送りました。
子どもたちも付添人も、見送る人々も、目に涙を浮かべて別れを惜しみました。
子どもたちが身を寄せていた施設の跡地を、永岡先生のご案内で見学しました。
8月14日、ポーランド児童98人、付添人8人は、天王寺公園・動物園観覧後、四天王寺を訪問し、五重塔の大きさに驚き、古池にいるたくさんの亀に見惚れていたといいます。今回のツアーでは、子どもたちが訪れた天王寺動物園の歴史に関するレクチャーを受けた後、自由に園内を見学しました。
出典;『シベリアから来たポーランド国児童の日本でのくらし―1920~22年日本赤十字社による救済事業―』2023年9月26日・社会福祉法人福田会発行