カロル・ヴィルヘルム・ザレフスキ

カロル・ヴィルヘルム・ザレフスキ氏はポーランド人の植物病理学者で、
植物病に関する研究を行っていました。

1919年9月16日、
シベリアに残されたポーランド人孤児を救うため「ポーランド救済委員会」がウラジオストクで設立されました。ザレフスキ氏は当委員会の設立直後にメンバーとして加わり、
1920年7月から1922年1月の間に877人もの子どもたちを救いました。

1919年4月2日、ザレフスキ氏は「ポーランド戦争委員会」にポーランド偵察課を設置し、
自身が代表に就任しました。
また、1919年5月3日から9月まで発行された5部の雑誌「Polic Sc​​out in Siberia」の編集長にも就任しました。

彼はまた、ニコラエフスクで少年少女のためのスカウトキャンプの本部に加わり、
教育活動を行いながら極東へと旅しました。
そこで彼は新しいスカウトチームを設立し、サマーキャンプも組織しました。

1920年以降、ザレフスキ氏はポーランドのヤンカジミエシュ大学で言語学を学び、
リヴィウ工科大学では助手も務めました。

1921年、彼はポズナンへと移り、
ポズナン大学の農学部の植物学および植物病理学科で働き始めました。

1969年に亡くなるまで、ポーランド植物学会、ポズナン科学友の会、ポーランドニコラウスコペルニクス自然史学会の会員として
植物病理学、真菌学、および植物の病気からの保護の分野における多くの研究を行いました。