イグナツィ・ヤン・パデレフスキ
イグナツィ・ヤン・パデレフスキ氏は作曲家兼ピアニストであり、
またポーランドの初代首相でもありました。
1920~21年にかけて、369人の孤児と27人の大人がシベリアからアメリカへと避難した際、
パデレフスキ氏は妻のヘレナ氏と共に彼らをサポートしました。
当時、ポーランド救済委員会のメンバーだったヨゼフ・ヤクブキエヴィチ医師が子どもたちの世話を担当していましたが、
ポーランド人ピアニストによる癒しの提供は、滞在先で非常に役に立ったといいます。
音楽家としての活動をする傍ら、彼は晩年は政治家としても活動していました。
ヴワディスワフ・シコルスキ将軍と共に中央党の活動家の合意を得て、
政治体制の民主化を求めただけでなく、自身がポーランドの首相となることを提案しました。
1939年5月26日、パデレフスキ氏はニューヨークでのコンサート直前に心臓発作を起こしましたが、
第二次世界大戦が始まった直後には、ロンドンに亡命中のポーランド人によるポーランド国民会議の議長を務めました。
1940年秋、健康状態が悪化したにもかかわらずパデレフスキ氏は再びアメリカへ渡り、
ポーランドのための支援を得ようとしました。
そして西ポーランド軍を武装させるための融資を得ることができましたが、
第二次世界大戦中、パデレフスキ氏の名前はドイツ・ナチスによって敵とみなされることになりました。