マンガ博物館主催「日本の夢 – 1919年から1922年にかけた日本によるポーランドの子ども救済活動 – 社会的連帯を学ぶ」コンクールの入賞作品を、動画でご覧いただくことができます。
動画本編はポーランド語ではありますが、
絵画作品や映像作品など、目で観て楽しんでいただける作品もいくつかございます。
ぜひご覧ください!
主催者コメント
当コンクールのテーマは、日本赤十字社に救済された子どもたちの貴重な物語です。
これは、戦禍や類まれな献身、幼く儚い命が晒された貧困と病と飢餓に対する物語であり、
今日の私たちにとって大切な学びとなる社会的連帯の物語でもあります。
シベリアの子供たちのポーランド帰国が実現したのは、
なによりもまずシベリアのポーランド人らにとってのリーダーであった、アンナ・ビエルキェヴィチ(1877-1936)と医師のユゼフ・ヤクプキェヴィチの偉業であると言えます。
「シベリア孤児の救済」というスローガンは、日本やアメリカ合衆国、そしてアメリカ在住ポーランド系移民に届き、その結果、子どもたちのポーランド帰還という非常に困難な計画が実現しました。今日でもなお、幼いポーランド人孤児に注がれた日本からの多大なる支援は記憶されています。
子どもたちは日本政府や自治体、社会福祉団体、宗教団体、そして国民個人から手厚い支援を受けました。住居、衣服、医療、教育、娯楽、休息といった、子どもたちが必要とするものは全て与えられたのです。
当時の皇室、とりわけ貞明皇后からも幼いポーランド人の子どもたちに関心が寄せられていました。
そして、日本人は帰国を果たした子どもたちのその後にも興味を持ち続けていました。
シベリア孤児の幸せな物語は、2002年7月12日、かつてのシベリア孤児数名が、当時の天皇皇后両陛下であった昭仁様、美智子様にワルシャワの日本大使館で感動的な対面を果たしました。
また、2019年、ポーランド下院議会は、国外在住ポーランド人児童救済委員会の功績について、
また日本国民、特に貞明皇后の支援と誠意についても同様に評価し、ポーランド極東児童救済委員会設立100周年を記念しました。
今回のコンクールの主催者であり監修を行ったのは、ヴィエスワフ・タイス教授とジャーナリストの松本照男氏です。
現代のポーランドに生きる子どもたちがシベリアの子どもたちの歴史を知るだけでなく、
広く歴史的・社会的背景を考え、捉えられる機会を作ることをねらい、当コンクールは実施されました。
コンクールでは、2段階に分けて選考を実施しました。
まず第1次審査では学びの段階として、史実の観点で見たシベリアの子どもたちの物語と彼らへの日本の援助を範囲として、その知識を一般的なコンクール形式で問いました。
第2段階では、若者たちがもっと自由な表現をできるように、「シベリアから来たポーランド人の子どもたちへの日本の援助から、何を学ぶことができるか。」「この史実が、自分自身や同年代の子ども、大人や国家、社会、そして広く世界にどんな教訓をもたらしているのか。」という問いへの答えを引き出すことをねらいとしました。
この映像でみなさんにご覧いただくのは、コンクール第2審査の発表作品です。若い参加者たちの発想や情熱、思い入れにきっと驚かされることでしょう。
シベリアの子どもたちの物語を知るだけでなく、難民や無国籍者、弱者保護、子どもの権利といった、今日の社会問題について若者が考察したことが、より重要な成果でした。
この開かれた歴史学習の場は、ポーランド人の若者にとって、援助が必要な人に対する社会的連帯と責任について考えさせる機会となりました。
動画、ラジオ、アンケート、エッセイ、記念碑制作、ポスター、書籍、プレゼンテーションなどのさまざまな形式での発表を許可したことにより、
コンクール参加者は自由に表現方法を選択することができました。
まずは、素朴で簡素なデザインの、ポーランドと日本の国旗に共通する紅白二色を基調とした数枚のポスターをご紹介します。
「いいね!」を意味する親指を立てるハンドサインに、「100周年!ポーランドと日本 1919-2019」という文字が添えられているポスターは、日本ポーランド国交回復100周年記念を意味すると同時に、これが知る価値も好きになる価値もある歴史だということを意味しています。
また、心という漢字に「Dziękuję(ありがとう)」と添えられたポスターは、シベリアの子どもたちを救ってくれた日本人への最も端的で的確なメッセージであると言えるでしょう。
また、「国境は私たちの頭の中だけに存在している。」という言葉とユゼフ・ヤクプキェヴィチの写真は、彼がそうしたように、どんな逆境にあっても困っている人々を救う困難と立ち向かうことを恐れてはいけないのだと語りかけてくれます。
「100年」の文字と紅白のハートのポスターも、シベリア孤児への日本の支援に対する心からの感謝を表現しています。
そして最後には、現代のパンデミック問題を示唆する短編動画が付け足されています。
ユリア・イドチャクが制作した動画『日本の夢』は、歴史的背景を非常に広い視野で捉え、子どもたちの運命をダイナミックに物語っています。
飢餓、戦争、貧困、病気、死、支援、勇気、慈悲を語る不安げなナレーションと、当時の雰囲気を浮かび上がらせる非常に説得力のある写真。
動画は「見返りを求めない不運な弱者への援助こそが、真に我々を人と成しうる」という格言で終わります。他者を助けることは、自分をより善い人、価値ある人に成長させてくれ、人を助けることは、人生に深い意味を与え、共感を学ばせてくれます。
また、慈愛や他者理解、そして傾聴が、自己理解をも深めてくれます。シベリアの子どもたち救済の物語は、自分に与えられているものの貴重さを見直し、可能な範囲で他人を手助けしようという気持ちを想起させるのです。
カツペル・マリシェフスキの余分な要素がそぎ落とされたシンプルな漫画では、シベリアの子どもたちの物語が現代にまで延長されています。
ミニチュア化や作中で使用する色数を制限することにより、他にない芸術性を持つ作品に仕上がっています。
続く3作品は、昔ながらの方法で描かれた絵です。マルチメディアにあふれた今日において、このような絵は非日常的な印象を与えてくれます。
これらの作品のうちはじめの2作品(ダリア・フロンチェクとヴェロニカ・ヤツコフスカの作品)は、ただ一人、ポーランド人の子どもからチフスに感染して亡くなった、松澤フミという名の日本赤十字の看護師に捧げられています。
彼女とを通して、シベリアの子どもたちを世話した日本人の勇気と犠牲を記憶に刻みます。
エヴァ・ベアタ・モンカは、彼女の作品について次のようにコメントしています。
「私の作品は100 cm x 70 cmの大きさです。これはブリストル紙の典型的な寸法ですが、そこに私は松本照男氏・ヴィエスワフ・タイス教授共著の本の幼い主人公たちの、「一番大切な」成長過程を描きました。今回のコンクールの第1審査がこの本の情報に基づいた知識を問うものだったので、同著掲載の写真を元に絵画を制作することにしました。線画と彩色の技術を織り交ぜ、写真を個人的に解釈し創作しました。こだわりのポイントは、世界とその人々の暮らしをたどる足跡で強調した点です。ここで重要なのは友好的な両国の国旗です。子どもたちは祖国を目指しながら、ポーランドへの尊敬と愛を心に携えていました。しかし、日本での滞在を経て、ポーランドの子どもたちは日出ずる国日本への思い出と親愛の気持ち、そして『ありがとう。日本万歳。』という言葉を、最期まで心に抱き続けていたのです。」
続く作品は、アレクサンドラ・クシャチェク、パトリツィア・ボガチ、マルティナ・ドゥゴシュ、画集のような本とそれに続く動画です。
シベリアの子どもたちの物語や日本の人道の港敦賀ムゼウムの正確な情報や、エヴァ・パワシュ・ルトコフスカ教授による日本・ポーランド関係についての文章を補足した、たくさんのイラストが入った伝統的な画集からは、大変な手間がかかっていることが見て取れます。
舞台美術、衣装、貞明皇后の写真などが丁寧に作り込まれた動画は、シベリア孤児の一人、ヴェロニカ・ブコヴィンスカの思い出を元にしています。
続く動画は、セバスティアン・ゴントキェヴィチによる作品です。シベリアの子どもたちと皇后の面会の、美しく情緒的な物語を描いています。特に目を引くのは、衣装(少年のシャツ)と舞台美術です。また、映像の雰囲気を見事に演出する挿入曲も見事です。
最後を締めくくるのは、マルタ・アブラモヴィチ、アレクサンドラ・ヴァヴジン、ズザンナ・キトリンスカ、ズザンナ・ロレク、パトリツィア・ヤヒメクによるグループ作品『世界の星座』です。
かわいそうな子どもたちの物語にインスピレーションを受けて、彼らが憧れの祖国に帰るのにどれほど長く厳しい道のりを乗り越えなければならなかったか、を示す地図が制作されました。
主催者を代表し、当コンクールに参加していただいたみなさんと先生方に深く感謝いたします。
そして、最後になりますが本企画実現にご協力をいただいた以下の機関に深く感謝の意を表します。
在ポーランド日本大使館
駐日ポーランド共和国大使館
在京ポーランド広報文化センター
社会福祉法人福田会
人道の港 敦賀ムゼウム
在クラクフ日本名誉領事
この企画はポーランド文化・国民遺産省の援助を受けています。