敦賀:シベリア孤児が辿りついた「人道の港」

ウラジオストクから日本に救出されたシベリア孤児の道のりを辿るシリーズ。

第1弾では、ポーランドの子どもたちが初めて日本に降り立った地である福井県の敦賀市を紹介します。
敦賀港は、シベリア孤児だけでなく
第二次世界大戦中に杉原千畝(当時のリトアニア領事)からビザを受け取ったポーランド系ユダヤ人が来航した港でもあります。

人道の港 敦賀ムゼウム

2008年3月29日に開館した「人道の港 敦賀ムゼウム」では、
1920年代にシベリアで救出されたポーランド孤児や、1940年代にナチスドイツの手から逃れたユダヤ人難民が敦賀港に上陸した史実に関する展示が行われています。

2020年11月3日にはリニューアルオープンが予定されています。
より詳細に史実を紹介する展示内容となるほか、シアター、企画展示室、研修室が新たに増設され、
様々な資料を通してより深い学びを提供する施設となる予定です。
※リニューアルについては、こちらのニュース記事でご紹介しています。

旧敦賀港駅舎

この建物は「欧亜国際連絡列車」の発着駅であった敦賀港駅舎を再現した施設です。
現在は敦賀鉄道資料館として使用されています。
「欧亜国際連絡列車」は、明治45年6月から新橋‐金ヶ崎(後に敦賀港駅と改称)間で運行していた列車で、
ウラジオストク行の船に連絡していました。
ウラジオストクからはシベリア鉄道でヨーロッパへ通じていたため、敦賀はシベリア鉄道経由でヨーロッパへと繋がる玄関口だったとも言えます。

氣比神宮

市民に「けいさん」の愛称で親しまれている氣比神宮は、
大宝2(702)年建立とされている歴史ある神社です。
高さ約11mの大鳥居(重要文化財)は春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つであり、
7柱のご祭神をまつる北陸道の総鎮守となっています。
元禄2年に松尾芭蕉が訪れたことから、
境内には松尾芭蕉像と句碑があります。