レシュノのソハチェフスカ通り(ul.Sochaczewska)4番地にある
イエジ・ストゥシャウコフス大佐記念特別養護学校・教育センターは、
1967年からの歴史を持つ施設です。
毎年、平均170名の生徒が通学しています。
同校は、下記のような機能を有しています。
・特別支援幼稚園
・特別支援小学校
・特別支援中学校
・特別職業高等学校
・第一種特別専スクール
・就労支援特殊学校
・寮
校舎はワルシャワ近郊のレシュノに所在しています。
さらに、生徒と教師は動物園、厩舎、乗馬パビリオンのある施設を利用することもできます。
同校では毎年、「パトロンデー」と「日本文化デー」が開催されています。
2022年の日本文化デーには、書道ワークショップまで行われたようです。
子どもたちに日本文化を紹介し、その熱狂的なファンになってもらうことで、
学校のパトロンであったイエジ・ストゥシャウコフスキ大佐、ひいてはシベリア孤児の歴史をより身近に感じてもらうことを目的としています。
1980~81年度にかけて、ズジスワフ・ヴァフニック(Zdzisław Wachnik)氏がレシュノの特別養護学校の校長に就任しました。
そして1982年、校長の発案で、第二次世界大戦の著名な軍人であり、イエジキ特別蜂起部隊の創設者、
そして子どもや若者にとっての偉大な友人であるイエジ・ストゥシャウコフスキ(Jerzy Strzałkowski)大佐と繋がりを持つようになりました。
大佐を通じて、イエジキ部隊の元兵士や、イエジ・ストゥシャウコフスキの元教え子で、
通称「子供共和国(Republika Dziecięca)」の構成員である若者たちとも知り合いました。
ストゥシャウコフスキ氏と彼の教え子たちとの会合、
パルミリー・ポチェシェ(Palmiry – Pociesze)での戦没者のための集会、
養護施設の教え子たちも参加しての「闘争と殉教の道」のスパルタンレースなどが
長年にわたって共催されてきました。
1991年5月4日に、イエジ・ストゥシャウコフスキ大佐が亡くなると、
1993年9月、生徒と教師が「ヒーロー・キャンペーン(Kampania Bohater)」を立ち上げ、
この特別養護学校・教育センターの校名にイエジ・ストゥシャウコフスキ大佐の名を冠することを目指しました。
1994年5月10日、同校は許諾を受け、故イエジ大佐の名を冠することとなりました。
(更なる詳細はこちら[ポーランド語]: https://soswleszno.edupage.org/a/patron )
イエジ・ストゥシャウコフスキ大佐の日本とのつながり
10月革命とロシア内戦により、シベリアや満州に住んでいたポーランドの子どもたちは、
家を失い、貧困にあえぐことになりました。
彼らは現在、「シベリア孤児」と呼ばれていますが、
イエジ・ストゥシャウコフスキもまさにその一人であったのです。
1922年、12歳であったイエジは、
日本赤十字社をはじめとする日本の人々と、アメリカ在住ポーランド人の助けを受けて、ポーランドに帰国しました。
ポーランドに到着後、イェジは他の子どもたちとともに、
ヴェイヘロヴォにあるシベリア孤児のために特別に用意された教育施設で保護されることになりました。
第二次世界大戦が始まると、イエジ・ストゥシャウコフスキは歩兵第36連隊に配属されました。
ワルシャワのレギア・アカデミツカ(Legia Akademicka:1918年11月11日にポーランド軍組織のメンバーであったワルシャワの大学生を中心に結成された任意の軍事編成)で少尉に昇進し、
1939年10月、「反乱軍特殊部隊(Powstańcze Oddziały Specjalne)」という名の地下組織が設立されました。
後に本国軍はこの組織の司令官であるイエジ・ストゥシャウコフスキ氏に敬意を表して
「イエジキ」とこの部隊を名づけました。
ストゥシャウコフスキ氏は、謀略的な活動のほかに、
子どもや若者のための福祉・教育活動も行っていました。
占領下のワルシャワで初めての戦争孤児のための孤児院を立ち上げ、
駅や路上、家の瓦礫の下などで見つけた子どもたちを保護しました。
ユダヤ系の人々への人道支援や、イエジキ部隊内部でも秘密裏に教育活動を行いました。
1973年、イエジ・ストゥシャウコフス大佐は惜しまれつつも部隊での活動を引退しました。
数十年にわたる介護・教育活動を称え、「千の子の父」という称号を得ました。
その後18年間、多くの社会団体の活動に参加し、ハローワーク、病院、学校、職場などでの難しい問題に無私の心で対応し、
自らのわずかな年金収入で困っている人たちに物資の援助を行うなど、幅広い社会活動を展開しました。
ストゥシャウコフスキ氏は、子どもや若者の間でイエジキ部隊の独立闘争に関して語り継ぐことを目的として、
学校施設、孤児院、学校、教育センターで多くのカンファレンスを企画し、自ら参加しました
出典:
Z materiałów udostępnionych na stronie internetowej SOSW
https://soswleszno.edupage.org/a/materialy-na-temat-osrodka
Publikacja napisana przez pracowników SOSW im. pik Jerzego Strzałkowskiego w Lesznie, wyd. 2010 r.
https://drive.google.com/drive/folders/1bspzdnGGllMriuev4pHgJsdOdIrZ7gDk
Ze strony internetowej SOSW: