極東青年会
「極東青年会」は1928年、日本から帰国したシベリア孤児たちの多くが生活していたヴェイヘロヴォの
シベリア子どもセンターの同窓生によって設立された団体です。
組織設立の目的は、シベリアの伝統を維持することだけでなく、
帰国したシベリア孤児たちを支援しまとめることでした。
団体メンバーの多くは、故郷のためによく働きました。
会を組織したイェジ・ストシャウコフスキ氏は自ら会長となり、
第二次世界大戦が勃発するまで会長としての仕事を務めあげました。
当初、会員はわずか12名ほどでしたが、数年後には600名を超える会員が所属する大きな組織となりました。
また、ポズナン、ウッジ、ルヴゥフ(現ウクライナ)、グディニア等ポーランド国内全域に活動を展開していきました。
極東青年会は『Młody Sybiriak(若いシベリア人)』という独自の新聞も発行していました。
この新聞はのちに、ポーランド孤児救済委員会を設立し東京で『極東の叫び』という雑誌を出版した
アンナ・ビエルキエヴィチ氏への敬意を表し、『極東の叫び』と改名されました。