ポーランドと関連するニュースを英語で発信しているマガジンスタイルインターネットメディア、『The First News』に2021年4月20日に掲載された関連記事を、
日本語読者の皆様向けに全文原文のまま翻訳を掲載しております。

シベリア孤児の物語がドキュメンタリー映画に

シベリア孤児の一人、アンジャことアンナ・ヴロニスカさん。
1920年、シベリアの孤児院から日本行きの船に乗せられたとき、彼女はまだ2歳でした。

ロシアの支配下から亡命したポーランド人家族のうち、アンジャを含む孤児の数は数百人にのぼりました。
彼らはシベリアから避難し、日本赤十字社や当時の皇后陛下、そして
イグナツィ・ヤン・パデレフスキ氏も関与した奇跡的な救出作戦により、無事に母国ポーランドへ戻ることができました。

それから100年が経った今、アンジャの物語はドキュメンタリー映画『アンジャ – ある女の子の旅路(原題:Andzia – historia jednej podróży”)』のテーマとなりました。

同作品は、1920年から1922年の間にシベリアから救出された約900人のポーランド人孤児たちの物語を記録したものです。彼らが日本へ渡り、健康を回復し、最終的にアメリカ、スエズ運河、ロシアを経由してポーランドに無事帰国した過程が描かれています。

映画を制作している文化団体、クロトフィラ協会 (Stowarzyszenie Krotochwile) のパヴェウ・バジェライン会長は、自身の家族の歴史を知った後にこの物語の存在を知り、すぐに魅了されたといいます。
「家系図を調べていたところ、アンジャの息子であるカロル・シヴィニスキ氏は私の遠戚にあたることが分かったのです。そして、アンジャの物語と彼女が記した日記の存在を知りました。」
「シベリアにいたポーランド孤児を日本が救出したという話はそれまで聞いたことがありませんでしたので、すぐに同僚に話してみました。私たちは、アンジャと孤児たちの物語を世界に発信していく必要があると考えました。」

救出作戦以前、子どもたちはシベリアの孤児院で暮らしており、飢えと病気に苦しんでいました。1921年まで続いたポーランド・ソビエト戦争を背景に、1920年時点での彼らの運命は暗澹たるものに見えました。
そのような状況の中、ポーランドで教師をしていた社会活動家、アンナ・ビエルキエヴィチ氏が行動を起こしたのです。

アンナ・ビエルキエヴィチ氏は、シベリア鉄道の設計者の一人であったポーランド人亡命者の娘でした。
1919年、医師のヨゼフ・ヤクブキエヴィチ氏と共に「極東の子供のためのポーランド救助委員会」を設立し、孤児たちを救うため様々な国に支援を訴えかけましたが、断られ続けるばかりでした。
最終的にアンナ氏は日本を訪れ、防衛大臣に必死に訴えた結果、日本赤十字社が主体となって救出作戦を行うことが決定しました。
そして1920年、孤児たちの最初のグループが敦賀港に到着しました。

日本に到着した子どもたちは、東京都の福田会孤児院で看護師の世話を受けながら、日本の子どもたちと交流したり、日本観光を楽しむなどしてゆっくりと休息をとりました。
ポーランドへ帰国するための長旅に出る前に、十分にリラックスし、体力を回復する必要があったのです。

最年少であったアンジャは、この物語のシンボルとして世間から広く注目を集めました。
日本赤十字社の坂本副社長(当時)から食べ物をもらっている写真が報道されたこともあります。

日本社会におけるポーランドの孤児への関心は非常に高く、貞明皇后 (当時)がアンジャの頭を撫でたこともあるといいます。

アンジャは最終的にアメリカを経由してポーランドに戻りました。
アメリカには、子どもたちがポーランドへ帰国する前、シアトルとシカゴに数ヶ月滞在していた際の記録も残っています。

アメリカ滞在中、子どもたちは影響力のある後援者からも支援を受けました。
ポーランド人ピアニスト兼政治家のイグナツィ・ヤン・パデレフスキ氏と、妻のヘレナ氏です。

1922年、アンジャは子どものいない夫婦の養子となり、その後再び日本を訪れることはありませんでした。
しかし40歳頃に書かれたとみられる彼女の回顧日記に、救出作戦の物語が記録されています。

しかしポーランド孤児たちを日本軍が救出した物語は、2010年まで長い間忘れられていました。
当時のポーランド駐日大使であったヤドヴィガ・ロドヴィッチ=チェホフスカ氏が偶然、東京で『福田会』と書かれた建物を発見したのです。
彼女は孤児の話をよく知っており、福田会の建物を発見したときはとても驚いたそうです。
すぐに福田会に連絡し、これが福田会とポーランドとが再び結びつくきっかけとなりました。

社会福祉法人福田会は、2019年からシベリア孤児関連の情報サイト 、https://siberianchildren.pl/を運営しています。
同サイトには、日本が救出したポーランド孤児全員の名前が掲載されているほか、シベリア孤児関連のイベントや各種取り組みに関する情報も掲載されています。

日本へと渡ったシベリア孤児は既に全員が亡くなっていますが、子孫の方々からの連絡や情報提供等も常時お待ちしています。

来日100周年を記念する式典も、2022年9月と11月に予定されています。

クロトフィラ協会は、2021年6月の公開が予定されている『アンジャ – ある女の子の旅路(原題:Andzia – historia jednej podróży”)』のための資料を収集しています。
同映画では、シカゴにあるポーランドアメリカ博物館や福田会に所蔵されている資料を特集しているほか、福田会の太田孝昭理事長や、アンジャの息子であるカロル・シウィンスキー氏、元ポーランド駐日大使であるヤドヴィガ・ロドヴィッチ=チェホフスカ氏のインタビューもお聞きいただけます。

また、長年ポーランドにて孤児の調査やアーカイブ作成に尽力し、ヴィエスワフ・タイス教授とともに 『シベリアの子どもたち』 という本を執筆した79歳の日本人ジャーナリスト、松本照男氏へのインタビューもお聞きいただけます。

同プロジェクトのコーディネーターであり、クロトフィラ協会の会長であるパヴェウ・バジェライン会長は、次のように話しています。

「私たちは映画制作および教育資料制作のために、継続的な資金調達を行う必要があります。出来れば本などの教育資料を全ての学校で利用できるようにしたいのです。この類い稀な物語を若い世代に伝えていかなければなりません。」

出典記事:https://www.thefirstnews.com/article/extraordinary-tale-of-polish-orphans-saved-from-siberia-by-japan-in-1920-subject-of-new-documentary-21387?fbclid=IwAR2auggyjc3KO7x0J7QPF3O0eS8WXOwHVdHDgu2aifRh0vqecF_6qgfIq54