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20世紀の東京における社会福祉法人 福田会

20世紀の東京における社会福祉法人 福田会

シベリアから避難してきたポーランド児童に対する日本の支援は、日本・ポーランド両国の公式な関係が形成されつつあった時期に行われた出来事であった。日本は1919年3月6日に、独立したポーランド国家を承認し、1920年8月には、ポーランド共和国政府の最初の全権使節であるユゼフ・タルゴフスキが東京で信任状を提出した。これに続き、1921年5月にはワルシャワに日本の外交代表部が開設され、川上俊彦が初代代表に就任した。

20世紀初頭の日本は、明治維新に始まる急速な変革の途上にあり、大正デモクラシー期(1912~1926年)には、近代化、資本主義経済の発展、そして段階的な国際社会への開放を継続していた。第一次世界大戦後、日本は戦勝国として協商国側に属し、ヴェルサイユ講和会議に参加、1920年には国際連盟の創設国の一つとなった。このような政治的・文化的背景のもとで、ポーランド児童に対する前例のない人道的支援が実現した。

シベリアのポーランド人児童は、5回に分けて日本に到着し、当時、石黒忠悳および平山成信が指導していた日本赤十字社の保護下に置かれた。支援の決定は組織のトップレベルでなされ、その実施には、日本赤十字社とポーランド児童救援委員会をつなぐ連絡役を務めた岡倉一郎教授らが関わった。岡倉は日常的に子どもたちと行動を共にし、アンナ・ビェルキェヴィチと常に連絡を取りながら、組織面・文化面の双方で彼女を支援した。

子どもたちの生活基盤は、日本赤十字社病院に隣接する仏教系慈善団体・福田会(現社会福祉法人 福田会)の孤児院によって提供された。福田会は1879年に仏教諸宗派によって、孤児や貧困児童を支援する施設として設立され、庭園や遊び場を備えた広大な敷地と、医療・交通インフラへの良好なアクセスを有していた。

子どもたちが最初に日本と出会った場所は、「東洋への門」と象徴的に呼ばれる敦賀港であった。到着時の回想には、船が停泊した後の静寂、山々と白い家々の眺め、温かい湯での入浴、衣類の消毒、そして初めての温かい食事が描かれている。
1920年7月20日の朝、56名の子どもたちとその保護者は、筑前丸に乗ってウラジオストクを出発し、2日後に敦賀に到着した。敦賀では、子どもたちは贈り物を受け取り、気比の松原に案内され、愛国的な歌で見送られた。その後、鉄道で東京へ移動し、7月23日の朝に駅に到着、徒歩で福田会へ向かった。

福田会での子どもたちの日常生活は、特別な行事の日を除き、明確に定められた生活リズムに従っていた。食事はポーランド人の保護者が、子どもたちの健康状態や食習慣を考慮して準備した。1人1日あたりの食費は70銭で、献立にはパンとジャム、牛乳、ココア、ジャガイモ、スープ、煮込み肉などが含まれていた。
10人の子どもにつき1人の保護者が配置され、養育・教育・家事全般を担当し、年長の子どもたちは日常の手伝いを行った。毎週日曜日には、カトリック青年会の会員の付き添いのもと、麻布のカトリック教会での礼拝に参加した。

重要な要素の一つは、ポーランド人と日本人の子どもたちが共同生活を送ったことであり、それは急速に友情の形成、共同の遊び、自然発生的な交流へとつながった。アンナ・ビェルキェヴィチは、日本の子どもたちがやがてポーランド語で彼女に挨拶するようになったこと、また両国の職員間の関係が親切さと調和に満ちていたことを回想している。

子どもたちは東京の世論から大きな関心を集めた。女性団体、仏教・カトリックの聖職者、学生、個人、さらには皇室関係者までが彼らを訪れた。特に重要な役割を果たしたのが貞明皇后であり、皇后は何度も子どもたちの状況を気にかけ、日本赤十字社病院で彼らを見舞い、菓子を贈り、また拝謁の際には前例のない形で儀礼的距離を縮めることを許可した。この出来事は、アンナ・ビェルキェヴィチによる感謝状作成のきっかけとなり、くずし字や変体仮名を含む、格式高い日本の公文書様式で書かれた書簡が作成された。この文書は2019年にヤギェウォ大学図書館で発見され、初めて一般公開された。

日本滞在中、子どもたちは上野動物園や博物館の見学、日光への遠足、多摩川での舟遊び、芸術家との交流、コンサートや音楽祭など、多くの教育的・娯楽的行事に参加した。慶應義塾大学ではポーランドの民俗舞踊を披露したほか、毛利男爵夫人の邸宅などの私邸や仏教寺院にも招かれ、祝福や小さな贈り物を受け取った。

同時に、集中的な医療ケアも提供された。医師や看護師が定期的に健康診断を行い、風邪から重篤な感染症まで、日本赤十字社の東京・大阪の病院で治療が行われた。1921年の腸チフス流行時には効果的な隔離措置が導入され、子どもたちに死者は出なかった。唯一の悲劇的な犠牲は、子どもたちの帰国後にチフスに感染して亡くなった若い看護師・松沢フミであった。

現代の福田会

現在、同じ場所(東京都渋谷区広尾)で、福田会は社会福祉法人として児童養護施設、知的障がい者支援施設、高齢者介護施設を運営している。
20世紀の激動の政治的・社会的変化の中で、100年前に行われた支援の記憶は次第に薄れていった。重要な点として、福田会内部においても、日常の活動とシベリアのポーランド人児童受け入れという歴史的出来事が結び付けられていない時期があった。

この歴史が再発見されたのは2010年である。当時の駐日ポーランド共和国大使、ヤドヴィガ・マリア・ロドヴィチ=チェホフスカが、朝のジョギング中に偶然福田会を見つけたことがきっかけであった。彼女はシベリアの子どもたちの歴史を知っていたため、直ちに福田会に連絡し、これが交流再開と協力関係構築の出発点となった。

それ以降、福田会は1920年代の出来事の記憶をより意識的に継承し、歴史家や研究者、公的機関の関係者が関与する教育的・記念的活動を展開している。

この取り組みにおいて重要な役割を果たしているのが、現理事長の太田孝昭である。太田は福祉活動に加え、シベリアの子どもたちの子孫を探し出し、この歴史を軸とした日ポ関係の維持・発展を支援している。近年、ポーランドと日本の双方で子孫の集会や記念式典が行われ、また100年前に子どもたちが滞在した場所を巡る訪問も実施された。

2022年以降、福田会はシベリアの子どもたちの子孫および記憶継承に関わる人々を結びつける定期的な交流行事を主催・共催している。その新たな取り組みの最初の式典は、2022年にワルシャワの在ポーランド日本国大使館で開催され、日本大使館との協力のもとで行われた。目的は、発見された子孫同士を結び付け、恒常的な交流・協力の場を築くことであった。

次の重要な節目は、2023年にポーランドで行われた「シベリアの子どもたち帰国100周年記念式典」である。翌2024年には、日本で「シベリアの子どもたち来日100周年記念式典」が開催され、希望する子孫を対象とした「シベリアの子どもたちの足跡をたどる」スタディ・メモリアルツアーも実施された。この訪問では、子孫たちが祖先が100年前に滞在した福祉施設や、東京および日本各地の関連地を訪れた。

2023年以降、これらの行事は「さくらの会」という共通名称のもと、可能な限り毎年開催されている。第3回は2025年10月17日にワルシャワの日本大使公邸で開催され、福田会理事長・太田孝昭、ならびに福田会名誉委員会委員長・安倍昭恵が出席した。式典は公式会談や外交行事、子孫同士の直接交流を含み、新任駐ポーランド日本大使・河野章の紹介の場ともなり、世代を超えた日ポ対話と協力をさらに強化する機会となった。

現代の福田会の活動においては、教育的・社会的取り組みも重要な位置を占めている。福田会は国際的な児童スポーツイベントに参加し、東京の児童養護施設の子どもたちを定期的にポーランドが開催する児童養護施設の子どもたちのためのサッカー大会へ派遣し国際経験の獲得と、持続的な同世代交流の促進に寄与している。また、ヤヌシュ・コルチャックの教育思想にも言及し、子どもの権利や尊厳ある教育という理念を現代の養護実践の重要な指針として位置づけ、ポーランドでの職員研修といった取り組みも行っている。

同時に、福田会は現代の人道的課題にも寄与している。2022年2月以降、日本社会からの寄付と制度的支援を受け、ポーランドに滞在するウクライナ難民を積極的に支援してきた。具体的には、ポーランド語学習の支援、滞在初期の物質的・金銭的援助、避難直後の防寒衣類の提供、社会統合と自立を促す活動などである。

このように福田会は、100年前のシベリアのポーランド人児童支援から、現代の連帯活動に至るまで、その使命を果たし続けている。

公式ウェブサイト
http://www.fukudenkai.or.jp/

参考文献

  • Theiss Wiesław, Dzieci Syberyjskie 1919–2019, Muzeum Sztuki i Techniki Japońskiej Manggha, Kraków 2020.
  • Przybyłe z Syberii. Życie polskich dzieci w Japonii – projekt pomocy Japońskiego Czerwonego Krzyża w latach 1920–1922, opracowanie: Grupa Badawcza nad Historią Fukudenkai (Eiko Uto, Tsuyoshi Ogasawara, Akio Sakurai, Riichi Sugeta, Aoi Murakami), Ośrodek Pomocy Społecznej Fukudenkai, Tokio, wrzesień 2023.