1948年山梨県生まれ。東京国税局退職後、太田税務会計事務所(現OAG税理士法人)を設立。2009年9月より、社会福祉法人福田会 理事長に就任。2018年、ポーランド共和国下院ポーランド・日本友好議員連盟主催の「シベリア孤児に関するシンポジウム」に招待を受け出席。2017年より、OAG(太田アカウンティンググループ)代表。
元駐日ポーランド共和国大使のヤドヴィガ・ロドヴィッチ=チェホフスカ氏が偶然福田会の前を通りかかった際、「社会福祉法人 福田会」と書かれた表札を見て「この福田会はあの“ふくでんかい”ですか?」と訪ねてきたのがきっかけです。
元大使のこの訪問がなければ、我々は今でもシベリア孤児が福田会に滞在していたということを知らなかったかもしれません。
ショックを受けました。日本にとって誇るべき孤児受け入れの歴史を、私たちは100年の間にきれいに忘れ去ってしまっていたのです。それをヤドヴィガ・ロドヴィッチ=チェホフスカ氏に掘り起こしていただいたことで、今後絶対に忘れないようにするためには何が必要かということを考えるようになりましたね。
当時の孤児たちが福田会で撮影した集合写真を、陶板レリーフに焼き上げました。この制作には、徳島県の大塚国際美術館の「陶板名画」と同様の技法が用いられ、1000年経っても変わらない美しさを保つと言われています。
このレリーフのミニチュアを、シベリア孤児関連の資料がある「人道の港 敦賀ムゼウム」と、ポーランドの「日本美術技術博物館“マンガ”館」にそれぞれ寄贈しました。今年2021年には、福田会の壁面に3m×5mの大きさの同レリーフを設置する予定です。レリーフという形あるものを後世に残すことで、シベリア孤児の歴史が人々の記憶に映像として残り続けてくれることを願っています。
ヤドヴィガ・ロドヴィッチ=チェホフスカ氏が福田会を訪れて以降、ポーランドとは様々な交流をさせていただいています。私の記憶の中で印象的なのは、2018年にポーランド共和国下院ポーランド・日本友好議員連盟主催の、シベリア孤児に関するシンポジウムに招待を受けたことです。当日は、登壇の機会も頂き、ポーランドの子どもたちが実際に生活した施設の代表としてお話をさせていただきました。また、ポーランドで開催される「児童養護施設の子どもたちのためのサッカーワールドカップ」に毎年招待を受けて、福田会の子どもたちが参加しています。
2020年の春には、ポーランドからの留学生やワーキングホリデービザで日本に滞在されている方への支援を行い、新型コロナウイルスの影響により帰国できなかったり職を失ってしまった19名のポーランド人の、日本での生活を支援しました。シベリア孤児来日100周年の記念の年にこのような活動を実施することができ、非常に嬉しく思っています。
シベリア孤児の取り組みをしている中で、一番多く聞くのはこの歴史を「知らなかった」という声です。シベリア孤児の物語は、日本人にはまだまだ知名度は高くありません。今年8月には、福井テレビ制作の「未来に伝えたい100年前のニッポン人~証言・ポーランド孤児救出~」という番組がBSにて全国放送されました。この番組をご覧になった関係者の方々からは大変多くの反響をいただいており、涙ぐみながらご覧になった方もいると聞いています。
今年2021年の9月にはポーランド・ワルシャワにて、孤児の末裔の方々やシベリア孤児の関係者をお招きした記念式典を、11月には福田会にて陶板レリーフの除幕式を行う予定です。
また、非常に喜ばしいニュースとして、2019年、日本・ポーランド国交樹立100周年を記念して「福田会―希望の家」というタイトルの切手とポストカード(3種)がポーランドにて発行されたことが挙げられます。現在、これらのデザインが選ばれたヴロツワフ美術大学主催のコンクールの全応募作品を展示する「切手原画展」を、来年度にかけて日本全国およびポーランドで開催する準備をしています。
シベリア孤児に関する場所の中で、現在までなくならずに残っている場所は非常に少ないと思います。私たちはこのことを受け止めて、日本だけでなく、ポーランドの関係者やシベリア孤児の研究をなさっている方々と連携し、この記憶を後世まで残していくためのプロジェクトに取り組むべきだと感じています。
また、シベリア孤児の史実を語り継ぐのはもちろんのこと、ポーランドと築いた絆を絶やさないよう関係を続けていくことも大切です。前述したサッカーワールドカップへの出場を続けることはもちろん、現代を生きる私たちがレールを敷くことで、次の世代の方々がこの記憶を引き継いでくれるような取り組みに引き続き挑戦していきます。
福田会は、映画における「俳優」の役割を担っていると思います。このシベリア孤児の物語に関して言えば、孤児救済を決断した日本国(日本政府)は「プロデューサー」、実際に救済事業を行った日本赤十字社は「監督」です。ならば、子どもたちに宿舎を提供した福田会は「俳優」ではないでしょうか。俳優は指示された通りに演じる反面、聴衆の記憶に最も残ります。福田会は「俳優」として、当時の記憶が残る園庭の斜面や陶板レリーフなどを保存することにより、シベリア孤児の歴史を100年後まで語り継いでいくという役割を担っていかなければなりません。
私は直接孤児救済事業に携わったわけではありませんが、福田会に現在関わっている者として、孤児の末裔の皆さんが生きていてくれるということがどれほど私たちの誇りであるかということを伝えたいです。